四十九日

四十九日の事を中陰といい、亡くなってから浄土へ到着するまでの四十九日間の事だといわれています。浄土は、極楽浄土を一般的に想像しますが、如来の数だけ浄土があるといわれていて、極楽浄土、霊山浄土、弥勒浄土など沢山在るといわれています。
殆どの仏教は四十九日の旅を教義にもっているので、納棺の際旅支度をします。白装束を着せ、脚絆、手甲、を付け、柩にわらじ、編み笠、杖を入れます。浄土真宗は、亡くなったら直ぐに極楽浄土へ行かれるとの教義のため、納棺の際の旅支度や旅の途中で食べる枕団子のお供えをおこないません。
さて、四十九日の旅の始まりは死出の山です。暗く険しい山を越えると、七日目(初七日)に不動様に会います。不動様に現世の罪を暴かれ、その後、三途の川を渡ります。ここで、旅支度の時に家族が持たせてくれた六文銭を渡し賃として使います。良くいわれるのが、生前の罪の大きさで、舟に乗せてもらえなかったり、深い場所を渡らせられたりするという話です。川を渡った後、二七日、三七日、四七日と一週間毎に仏様と会い、怒られたり、反省したりしながら浄土を目指します。五七日の35日目にお会いするのが閻魔様です。ここでうそをつくと舌を抜かれるといわれています。四十九日目に薬師如来様にお会いし、無事に旅を終えます。
遺族は、四十九日の旅が無事に終るよう、特にこの期間は手厚く供養するようにといわれています。最初の七日目の初七日と最後の四十九日は特に大事なので、皆で集まり法要をおこないます。

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2012年10月30日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:法事・法要

キリスト教における葬儀

キリスト教で葬儀をおこなう場合、一般的には、当該の教会に所属しているのが原則です。日本の場合、概ねカトリックかプロテスタントのどちらかになり、葬儀は教会でおこなわれます。カトリックの葬儀の進行は、どこの教会でもほぼ同じですが、プロテスタントは教会により若干の違いがあります。カトリックの司式者は、神の代理人である神父様ですが、プロテスタントは信者代表である牧師様です。カトリックの葬儀では、神父様と参加者は故人が天国へ行くために祈り(帰天)残された家族の為にも祈ります。通常は献花ですが焼香をする場合もあります。また、ミサの一部として葬儀をおこなうので聖体拝領等の儀式もおこなわれます。プロテスタントの葬儀では、ミサの一部としておこなわれ、死は悲しむべき事ではなく、故人は天国へ召されるので一時的な別れとされています。ご遺体に対しても、既に魂が抜けているので、合掌をしたり頭を下げたりするのを避けます。

葬儀の進行も葬儀社がおこなうのではなく、教会が進行します。ミサの中で、聖書を朗読し賛美歌(聖歌)を歌います。祭壇に飾る花も司式者の前に置かれ、聖職者の顔を隠さないようにします。花の色も以前は白色のみでしたが、最近では色花も多く飾られています。葬儀はミサの一部ですから、通夜振る舞い等の食事も通常はありません。祭壇も必要なく、戒名料もありません。葬儀後に教会におミサ料を支払うだけですから葬儀全体の料金は大変安くおこなえます。外国の葬儀代金が安いのも、キリスト教の葬儀を体験するとよく理解できるでしょう。

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2012年10月29日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:葬儀・葬式

菩薩と如来

寺院や博物館へ行かれると沢山の仏像を目にします。寺院では、山門に明王などが安置され、本堂の内陣の正面に本尊の仏像が安置され、両脇に脇掛の仏像が置かれているのを目にします。真言宗では、大日如来が奉られ、両脇には、不動明王や釈迦如来が安置されています。浄土宗は、阿弥陀如来が本尊として安置され、両脇には勢至菩薩と観音菩薩がおられます。曹洞宗では、釈迦如来を本尊としている事が多い様です。
各宗派には、本尊として如来が安置されている事が多く、廻りに、菩薩や四天王、明王などが奉られています。これら沢山の仏様には、それぞれに役目(使命)があります。
四天王は、帝釈天の部下で、東西南北におられ仏教を守る役割を持っています。不動明王や愛染明王は、仏道に従わない魔を打ち破る役目があります。そのため、明王は恐ろしい顔をして、武器を沢山持っています。他にも、鬼子母神や吉祥天など仏の眷属といわれている仏像もあり、神道の八百万の神々に負けない位沢山の仏様がいらっしゃいます。
さて、如来と菩薩の違いはなんでしょう。簡単にいうと、如来は、真理で宇宙に始めから存在している仏様とされています。菩薩は、真理(悟り)を求めている修行中の仏様です。菩薩には位があるようですが、僧侶も修行をされているので菩薩といえます。また、如来を補佐する役目があるので、本尊の如来の両脇に奉られる事が多いようです。
しかしながら、本来は如来でも衆生を救うため、あえて菩薩の姿をしている仏様もいらっしゃいます。有名なのは、弥勒菩薩で弥勒如来は、仏滅後五十六億七千万年後、娑婆世界(現世)に降りてきて、仏陀の救いに漏れていた人を救うといわれています。
この様に、仏様は様々な尊称と役目をもっていますので、寺院を見学した時、如来か菩薩かを知るだけでも感慨深く見学できるかもしれません。

参考⇒仏像と仏師の世界

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2012年10月28日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:仏像

臨海斎場の魅力

臨海斎場は、平成16年1月大田区東海に開設された公営の火葬場と葬儀式場です。
運営しているのは、大田区、品川区、目黒区、港区、世田谷区の5区で、この区内に現住所が有る方は、臨海斎場を有利に利用することが可能です。
臨海斎場の最大の魅力は、使用料の価格です。同じ形態の都内火葬場の火葬料金が約6万円に対し臨海斎場は2万3千円で利用できます。同形の火葬場には、特別室など豪華な部屋で価格も高い部屋が有り、飛行機で言えばファーストクラスの様なものです。臨海斎場は、全て同じ部屋になるので、個室にて火葬を希望する方の希望には応えられません。葬儀を行う式場も同形の式場使用料約24万円に対し臨海斎場は、10万円で利用できます。式場は同形式場より広いのですが、社葬や沢山の会葬者が来る様な大きな会場の用意は有りません。大きな式場になると使用料は、100万円近くになり、さらに他の場所では200万にもなる式場も有ります。2日間でこの値段ですから、一般の人にとっては、浮世離れの感じが有ります。その他では、待合室、ご遺体の保管料金も安く設定されています。また、葬儀の際に発生する心付けも必要なく、渡そうとしても臨海斎場は公営の為、受け取って頂けません。心付けが有ると渡すタイミングが気になるので精神的にも楽です。
デメリットとしては、兎に角人気が有り混んでいることで、式場の利用だと一週間以上待つのはあたりまえです。場所も、海沿いに有るので、交通機関がモノレールとバスのみになるので若干不便です。
それでも、5区に在住の方が申請者(一般的には喪主)になれば、リーズナブルで綺麗な施設を利用できるので大変に恵まれていると思います。

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2012年10月26日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:斎場・葬儀場

動物に対する供養

動物に対しても弔い供養する習慣は昔から有ります。動物園では、園内のどこかに供養の碑が有るはずです。屠殺場でも食用の家畜の供養碑が有ります。大学病院では、マウスや犬の実験動物を供養する為、毎年慰霊祭を行っている様です。縄文時代の遺跡でも犬の埋葬跡が発見され、古代人もペットが亡くなった事に悲しみ、供養していたと確認されています。

余談ですが、大森貝塚を発見し、日本考古学の父と云われているモース博士は、犬の骨を発見し古代人は犬を常食していたと勘違いされたようです。

現在では、ペットの供養が盛んです。人間と同じように火葬し、ペット霊園に納骨しますが、近年では、家族と一緒に入れる霊園も有るようです。火葬は、寺院やペット霊園が経営する火葬場や移動火葬車両があります。寺院やペット霊園では、火葬後に供養していただく事も可能です。自治体によっては、ペット専用の火葬場を持っている所も在りますが、ほとんどが合同での火葬です。東京23区には、ペットの火葬場はありませんから、自治体にお願いすると生ごみ扱いになってしまいますのでとてもやりきれないでしょう。なかでも、横浜市の戸塚斎場はペットを個別で火葬してくれるのでとても親切ですが、横浜市民しか利用できません。自分達で供養したいとの気持ちから、公共の山に埋めたり、川や海に流したりする行為は、不法投棄となり罰せられます。どうしても自分達で供養したい場合は、不衛生にならない様配慮し、自分の庭等に埋めなければならないようです。現実問題として、自分の庭に埋めて供養出来る人は殆どいないでしょうから、ここ最近ペット供養をビジネスとする業者が増えてきたようです。ペットの位牌や仏壇を望む人も多く、仏壇屋さんへ行くとカラフルな位牌や遺骨が入るペンダントなどが陳列されています。
一度見に行ってみては如何でしょうか。 

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2012年10月23日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:供養

仏教葬儀の中での供養

仏式で葬儀を行う場合、どのようなものが供養になるのか考えてみたいと思います。葬儀は、故人を弔う為の儀式ですから葬儀そのものが供養となります。その中でもどういったものが供養になるのか細かく説明します。まずは、祭壇が供養になります。そして、祭壇に飾る水菓子(果物)、お菓子(落雁が多い)お花も供養になります。宗派によっては、一膳飯、枕団子、お水も備えます。一膳飯は、ご飯をてんこ盛りにし、使用していたお箸をご飯に刺します。枕団子は、上新粉を使用し、ピンポン球位の大きさのものを6個供えます。関東地方では、六地蔵に由来して6個になりますが、場所によっては、四十九日に由来した、49個になる場所もあります。
浄土真宗の教えでは、亡くなると直ぐに阿弥陀如来のところへ行かれるという教えなので、四十九日の旅が有りませんから、通常、一膳飯等は、お供えしません。仏教葬儀では、僧侶が経をあげにこられます。僧侶が読む経文こそが葬儀では最大の供養になるのです。宗派によっては、経文の中で引導を渡します。引導とは、故人を弔い戒名を与え仏弟子になるための儀式です。僧侶の前には、経机があり真ん中に香炉を置き、灯明一対、鈴を置きます。火をともすのも、線香をあげるのも供養です。俗説では、亡くなると飲食を取らなくてもよくなるのですが、香の煙は故人の栄養になるといわれています。僧侶の両脇に置く大鈴、木魚を叩くのも供養になります。僧侶には、お布施を渡しますが、これは供養ではありません。よくお布施の金額が判らなくて困るとの話を聞きますが、最近では、お願いすれば、金額を答えてくれることも多いようです。遺族、親族、会葬者が行う焼香も供養です。もちろん、香典や供花、弔電も供養の気持ちで差し上げるものです。このように、葬儀そのものが供養になるのですが、故人を忘れないことが一番の供養になるのではないでしょうか。

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2012年10月20日 | コメント/トラックバック(0)|

カテゴリー:供養

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